「お前がおるだけで いいったい」父からの意外な言葉。

褒めてもらい、認めてもらえることで 存在意義を確認し、仕事に依存 していた 以前のわたし。

施術している時間が 唯一 自分らしいと勘違いしていた。

全身のオイルトリートメントやホットストーンの施術をしていた頃のわたし。

お客様も予想以上に多く来て下さり
たくさん褒めてくださり

わたしもそれに応えようと頑張っていた。

施術の前には
自分のエネルギーを整えるために
ヨガや気功をやり

施術の時間は
わたしにとって
わたしが最も自分らしくいられる 唯一の時間

天地と繋がる 唯一の神聖な 時間だと思っていた。

だから

施術ができなくなること
施術をお休みしなくてはならないことは

わたしにとって
自分の存在意義を失う恐れ

わたしにとって神聖な時間を失う恐れ

自分らしい時間を奪われることになる
その恐怖は巨大だった。

でも勘違いでした。

何もできなくても
わたしの命の価値は変わらなくて

施術をしていない時間でも
いつでも自分と繋がり
天地と繋がることはできる

というより

いつでも自分と繋がり天地と繋がっているのが
命の本来の姿なのだと

腑に落ちてからは

台所で料理しているときも
洗濯してるときも

なんもせず
ボーっとしてるときも同じ。

父から

「お前がおるだけで いいったい」

と言われたとき

すべての力が抜け、硬い氷が溶けた。

わたしはずっと父に認めてもらうために
頑張っていた。

価値観の全く違う父。

だからすべてを否定されると思いこんでいた。

不安と満たされないものを
必死に埋めようとしていた。

でも埋める必要なかった。

「ただ いるだけでいい」

絶対にそんな言葉を言ってくれる父ではないと思っていたから

本当にびっくりした。

何か役に立つことができるから
何かがうまくできるから
生きてる価値があるんじゃなくて

生きてるだけで
本当にいいのかもしれない。

何もできなくても
生きてていいんだという安心感は

逆に 何でもできる という勇気にもなる。

施術をいったん休んだとき

何もできない
何もやらない 時間ほど
大きな学びを得る時間はない

って言葉に何度も救われた。

賞賛、承認を得るかどうかより
わたしの命を生き続けられるか?

いまやっている
姿勢&呼吸パーソナルセッションは
わたしそのもの。

だから怖いときもあるが
だから歓びも深く

賞賛も承認もされなくても
わたしの内側が静かに深く満たされる。

そして

わたしそのものだから
わたしの命とともに変化したり
成長したりする。

朝、散歩してたら
空があまりにも美しくて
なんか それだけでいいな…と思ったら

こんな思いがあったことを
書き留めておきたくなった。

あんまりアレコレ考えすぎず
体が動く方に進もう。